独りで作った穴窯            岡崎 隆彌
 
 
瀬戸へ来て、十一年がまたたくまに過ぎた。
愛知窯業訓練校(当時、尾張旭市三郷町にあった)で、一年初歩技術を取得し、瀬戸市の製陶所に就職。
ここでの3年間で基礎を身に付けた。以来、転じて、耐火物工場の研究室に入り、六年間、鉄鋼中心の耐火物、
ファインセラミックの開発を手がけ、新しい素材による炉も数々完成させた。
耐火物と陶器。この関係は親子のようなもので、窯がなくては陶器は生まれない。だから、親の性質により、
子の出来映えも変わる。
僕は五年前。省エネ窯をと考え、自宅の庭に0.7r立方メートルのガス炉を作った。
今でも第一線で働いているが、同タイプのそれと比べて約40%省エネルギーを可能にしている。
昨今の石油等の値上がりに少し対応できて、一応は良しと思っているわけである。しかし、親がガスなら
子もその性質を必ず表す。
それでは、まき窯ならどうだ。きっと顕著な性格を出すのではないか。
瀬戸の古窯に良く見られる穴窯の形態を調べ、独りで焼成できるもの、そして可動率の高いもの、
築炉経費の節減から設計した。

狭い庭の一角に、今一つ窯ができる。
土をひねる時もある種の、快感に似た緊張があるが、煉瓦を積み出してゆくのもそれと同じで、無我夢中で作業を続ける。
材料の煉瓦は全て二級品で、以前よりぼちぼち買い集めていた。だから生焼けがあったり、種々様々な寸法が揃っている。
職人に頼めば一ぺんにいやになり、帰っていくだろうと、思った。
難儀を重ねて、ある物を有効に利用しなければならない。お金をかけずに手間をかける。そんな作業であった。
煉瓦数千五百丁、全長三・五メートル、最大幅一・五メートル、焼成室は十六インチパーソナルテレビ一台ほどの大きさである。
ちょうど、昔の穴窯が地上に浮き上がった様子である。簡単な風雨避けを作り完成した。
実に一ヶ月を要した。ひとりでやると仲々はかがいかないものだ。

 
さて、窯はできたが今度は燃料の心配である。
ここ瀬戸でも、まきを扱う商店は少ない。
集めるのに苦労するからである。ガスや電気、重油と
エネルギー源が多様化し、我々の手元にそう簡単に
まきが入らない。
入ったとしても高価である。仕方がないので、松の木を中心として堅木を山から切り出すことを決心するのである。
木こりである。もう何が本職かわからない。
一窯焚くのに必要なまきは何束か、予想を超える数がいると聞く。
ある年寄りから、自分で割り出した計算より二倍の量を
用意せよといわれて、がく然とした。
まったく窯を作るのは骨の折れる仕事である。ため息がでる。
樹齢約三十年の松の木の下で、何回そのため息がでたことか。
やり始めたことだ。気をとり直して、のこぎりを入れる。
 
   

↑瀬戸市大坂町に作った初めての穴窯

数日後、我が家の空き地は全て木材が陣取り、割木にされるのを待っている。
僕の身体は一周り頑強になり、晩酌も一杯増えた。
陶業仲間は、買ったほうが安くつくと忠告してくれたが、後になってそうしたら良かったと思った。
後悔先に立たずである。独りでやる仕事量はたかがしれている。つくづく感じた。
自分の力の無に等しい行為を続けて生きてゆかねばならぬなら、いっそうのこともっと楽な方法を考えたら良かろう。
今度からそうしよう。できれば良いが…。
このようにして、僕は二基の窯を作ったわけであるが、果たして作り手と同じようにひとクセもふたクセもあるこの親は、
僕の思い通りに子を育ててくれるだろうか。心配と少しの自信と期待の中で出番を待っている。
 
一人立ちして二年近く、秋に夕暮れは妙に嬉しい。
重文黄天目の道を追求しつつ、すべては窯出しの日のために静かにやっていこうと思う。
 
岡崎 隆彌(おかざき たかや):いま窯場では・・・いま現場では・・・セラミックストリート
温故堂出版 月刊『陶』 二月号 より   1981年2月1日発行